華やかな笑顔の裏に、壮絶な過去が隠されていた――。
SUPER EIGHTの横山裕さんは、今やバラエティやドラマに引っ張りだこの人気タレント。
しかしその人生は決して順風満帆ではありませんでした。
実の父親は幼少期に離婚し不在、義父とは馴染めず、最愛の母親は急逝。そして弟たちと共に過ごした母子家庭での厳しい日々…。
この記事では、そんな横山裕さんの知られざる生い立ちに迫ります。
横山裕の実の父親は不在?母子家庭となった理由
SUPER EIGHTのメンバーとして活躍する横山裕さんは、明るく親しみやすいキャラクターで人気を集めていますが、幼少期には壮絶な家庭環境に身を置いていたことでも知られています。

中でも「実の父親」との関係については多くが語られておらず、『ほとんど記憶がない』と本人も語るほど疎遠な存在です。
横山裕さん(本名:横山侯隆)は1981年、大阪市此花区に生まれましたが、わずか3歳のときに両親が離婚。
横山裕さんは、
海岸近くの車の中で両親が離婚の話をしていたのを覚えている
引用元:NHKSP「令和家族 幸せ探す人たち」- 2019年12月28日
と語っており、当時から家庭内に不穏な空気が漂っていたことがうかがえます。
離婚後、父親とは事実上関係が途絶え、以後の人生で実父の話題に触れることはほとんどありません。親権は母親が持ち、実父とは再会した記録もなく、芸能活動においても父の存在は語られないまま現在に至っています。
その後、母親は再婚し義父との間には弟が2人生まれますが、のちに再び離婚。その後、生活はさらに厳しくなり、弟たちは一時的に児童養護施設に預けられたこともあったそうです。

元気な見た目とは裏腹に波瀾万丈の人生だったんだね
詳細は次章に続きます。
義父とは馴染めず…母親の急死と壮絶な幼少期
5歳で母親が再婚。新たな家庭に入りましたが、義父との関係は非常に難しいものでした。
横山は3歳で両親が離婚し、ついていった母が再婚。その再婚相手について「テレビで初めて言いますけど、それが『横山さん』という方だった」と、義父の名字が現在の名字になったと明かす。
ある日、義父から突然、「今日からお父さんと呼びなさい」と言われたが、「衝撃でした。全然言えなくて、頭をどつかれた。『はよ呼べ』って」と回想。
引用元:ライブドアニュース 2019年12月31日
この義父については、心を許すことができなかったと横山裕さんは語っています。
新しい父親に馴染めず、一時は母の実家で祖父母と暮らしていたこともありました。
小学5年生で再び義父と同居することになりましたが、義父は高校進学を認めず、「働いて家計を支えろ」と命じられた横山さんは、中学卒業後に建設現場で働き始めます。


さらに追い打ちをかけたのが、母親の急逝です。
2010年、スーパーマーケットで突然倒れ、虚血性心疾患で帰らぬ人に。享年50歳。
ツアー中だった横山さんは悲しみを抱えながらもステージに立ち、母への思いを込めて「オニギシ」を披露しました。
母の死後、弟の1人はショックで一時記憶喪失となり、横山さんは「自分が守る」と決意。大阪に家を借り、弟2人とともに暮らし直しました。生活を再建するため、弟たちを外の世界に連れ出し、親代わりとして懸命に支えたといいます。
このような苦労の数々は、テレビや雑誌、公式インタビューで横山さん自身が語っており、彼の優しさや責任感の強さは、こうした背景から育まれたものでしょう。
壮絶な生い立ちが現在の横山裕を支えている
24時間テレビ
— 横山 裕 (@_yokoyamayou) July 31, 2025
チャリティーランナーに決定 pic.twitter.com/RN5m5fG8o4
2025年の「24時間テレビ」では、横山裕さんがチャリティーマラソンに挑戦。
『自分の子ども時代を振り返って、家庭の事情や経済状況で支援が必要な子どもたちを支援したい』という意気込みが注目を集めました。
苦しかった過去があるからこそ、人一倍「誰かのために走る」意味を知っている――。
横山裕さんは、幼い頃に実の父親と離れ、義父との関係に悩みながらも、母親と弟たちを支えるように生きてきました。
母親の急死はあまりにも重い現実だったでしょう。けれど、その経験が「人の痛みをわかる優しさ」と「自分を強く律する覚悟」を彼の中に育てたのではないでしょうか。
そんな横山裕さんが今回、24時間テレビのチャリティーマラソンに挑む――そこには、ただの企画ではない深い意味が込められているように感じます。
チャリティーという枠を超え、自らの人生を通じて『子供たちのために走れればいい』と行動する横山さん。その想いは、今まさに支援を必要とする子どもたちへ、確かな希望として届いています。
もちろん、僕ひとりの力で、社会を変えられるなんておこがましいことは思っていません。でも、僕が走ることで、今、支援を必要としている子どもたちに少しでも力になれたら、ご覧いただく皆様の心にも少しでも響いたら、こんなにうれしいことはないです。思いが届くように一生懸命走ります。どうぞよろしくお願いします。
引用元:マイナビニュース2025年7月31日
これまで支えてくれた家族やファンへの感謝、そして「誰かの希望になること」。苦しみを乗り越えてきた彼だからこそ、「困難に立ち向かう人に寄り添いたい」という思いがあるのではないでしょうか。
走ることで、自分の人生をもう一度振り返り、前に進む。
壮絶な生い立ちは、今も横山裕さんの背中を押し続けているのかもしれません。
SNSの反応
SNSやファンからは心配と応援の声が相次いでいます。
- 横が出るなら24時間テレビ見るわ!!
- ヨコが走るってきいた時から、なんかもう泣ける だめだ。 ヨコがんばれ!ヨコがんばれ!ヨコがんばれ!ヨコがんばれ!ヨコがんばれ!
- 酷暑だし企画変えたほうが・・・
- 頑張れ横山くん
- 暑いから無理しないように
- 頑張れヨコ!!ヨコがやると決めた事、応援するから
- 横は子供の頃に沢山苦労してきた事情があるから走る事で子供達の貧困に役立てたらと言っていました。無理しないで頑張ってね。
- 無理だけはしないで!応援してる!
引用元:X
横山さんの挑戦は、走る姿そのものが大きな勇気と感動を届けていくことでしょう!
まとめ
横山裕さんは、幼少期に経験した家庭の問題や経済的困難、母親の急逝といった数々の逆境を乗り越えてきました。
その中で育まれた家族への強い愛情と責任感が、今の彼の芯の強さと温かい人柄を支えています。
2025年の『24時間テレビ』では、自らの過去を振り返り、支援が必要な子どもたちへの思いを胸にマラソンに挑戦。
その姿勢には多くの共感と応援が寄せられ、横山さんの行動は、困難を抱える人々への希望となっています。
最後までお読みくださりありがとうございました。